宇宙人として生きてみる
執筆:2024年2月24日
長年過ごした欧州から日本に帰国して、約1年が経った。この1年間、「日本人」という言葉をほんとによく聞いたなぁ。今年の流行語大賞にノミネートするなら、まずこの言葉だろう。
今もずっと感じるこの違和感は何なんだろう。メディアも然り周囲の発する「日本人として~」という言葉の洪水に、よく溺れている。
ベルリンの日常風景
晩夏のテンペルホーフ空港
ベルリンという街は良くも悪くもテキトーで、「何者でもない」自分と、のびのびと向き合う余裕があった。「自分とはどういう人間か」という問いに向き合うことが、自分なり幸せに気づき、人生を豊かに謳歌するために、いかに重要かを教えてくれた。あのテキトーな街は、いつも自由という空気で満ちていた。
ベルリンの日常風景
初夏のグライスドライエック公園
「日本人としての常識」を強要される、少し窮屈な場所に戻ってきた自分を解放してくれる言葉、それが「宇宙人」という自己アイデンティティだった。
「宇宙人」とは、「エイリアン=得体の知れない存在」を意味する排他的な言葉ではない。むしろ真逆で、「このひろーい宇宙に住む、とある1人の人間」を意味する言葉。国籍、人種、職業、性別、年齢という属性に関係なく、地球上の人類は皆、宇宙人なんだと思う。
たとえ同じ環境で育っても、結局ひとりひとり、宇宙人。それくらい、人って実は多様なんだと思う。そう考えると、意見の異なる他者にも少し寛容になれるし、周囲と違う自分のことも肯定的に受け入れられるかもしれない。
誰かの常識から自分を解放してくれる「肩書き」。それが「宇宙人」。
宇宙人として生きてみる